4/19-21

4/19

友達が夜来るので、家を出る前に掃除機をかける。掃除機をかけるたび、髪の毛落ちすぎじゃないかと思う。

友達が来るのが意外と遅くなりそうだったので、ビールを空けつつ料理。水曜に買い物してあってよかった。作り置きと合わせてまあまあの品数ができた。新じゃがと新玉ねぎとベーコンのジャーマンポテトが特によい。結構多めに作ったのにほとんど残らなかった。豆腐の味噌漬けもよい具合。きゅうりのスライスと一緒に食べるとちょうどいい。

春になって食べたいものが多い。筍ご飯をやりたいところだけれど、生の筍を1人で消費するのは骨が折れる。筍とふきの煮物、あさりと春キャベツを蒸したのは外で食べられたので今シーズンはよいでしょう。

 

4/20・21

2人して、結局10時半くらいまで寝る。

銀座で用事を済ませた後、新宿・世界堂へ。会社で使う備品を買う。休日ということもあってか混んでいた。映画の時間があるので、早々と会計を済ませ、世界堂を出る。

ピカデリーでコナンを観る。土方歳三を敬愛する人物が残した暗号ということだったから、豊玉発句集は出てくるだろうと踏んでいたら、案の定。でも、コナンの映画って謎解きメインではないのですよね。函館であんなカーチェイスしてセスナを突っ込ませて、市街地に爆弾投げ込んで、チャンバラまで見せてくれる映画なんてコナンくらいしかないんじゃないでしょうか。

帰ってきたら疲れが噴き出して、そのまま絨毯の上で寝てしまう。途中数度目が覚めて、お風呂に、と思った記憶はあるけれど5時まで動けなかった。シャワーを浴びて、今度こそベッドで眠る。昼まで寝る気でカーテンを全て閉め切る。しかし、8時半に起きてしまう。冷凍バナナを半分と水を2杯お腹に入れてもう一度眠る。13時頃、起きる。

冷やし中華を作る。具はトマト、鶏肉、きゅうり、なす、錦糸卵。子供の頃は冷やし中華って当然のように出てくるもので、好きだけれど食べたいとか特に思わなかった。今日は食べたくて食べている。おいしい。

知人のお兄さんが昨年結婚されたそうで、お相手が冷やし中華を作ってくれた時にゆで玉子ではなく錦糸卵を添えてくれたことが嬉しかったらしい。私はゆで玉子の方がよっぽど面倒だと思う。時間がかかるし、殻を剥かねばだし。

キャセロールでプリンを作る。プリンは家で作った方がおいしい数少ないお菓子です。

雨が降ってくる。外から「雨だよ、入りな」と女性の声がする。出窓の開きを狭める。水につけた豆苗が元の長さの倍ほどに成長している。毎日成長しているのがわかるからなんとなく刈れずにいる。また眠る。

先日、司法修習生の知り合いに性的不同意の証明について聞いた。未然に防ぐ手立てとして法的に効力を持つ書面を作れないものか、と尋ねたら、予想通りの答えだった。彼は難しいだろうと言った。例えば、「他人と性的接触を持ちたくない」という内容で書面を作ったとして、その意思が行為に至った時も同様であったと証明することは難しい。

法律が変わって以降、同意がなかったと判断された判例は、年齢差や酒酔いの状態等に基づいているものが多いのではないか、と。(彼がその場で簡単に調べてくれた限りでは。)よかったら判例を調べてまとめると申し出てくれたけれど、そこまでは、と断る。

望みは薄いだろうとはじめから考えてはいたから落胆はなかった。そもそもそんなものを持っていないと安心できない方がおかしい。

もし、効力を持つ書面が作れるのだとしたら、私にとってそれは確かな盾であり、同時に私自身を諫めるものにもなり得る。だから欲しい、

性欲はある。セックスしたいと思うときもある。でも、しないでいられるならしたくない。しない。

生殖と性交を私は結びたくない。しかし、私はその線を断ち切れないままだ。違う、と何度唱えても、霞みがかった先に明らかに立っている。

もう一つ。

私には主体を透明にしたいという気持ちがある。完全な器として別のもので満たされたい。性交というのは相手によってはその欲望を叶えるに話の早い行為ではないか。

器として、ものとして扱われること。相手によって形が定められ、私は私を失い、相手が私を取り成す。けれども、そんなこと、そんなこと、尊重すべき相手に対して望むべきことではない。そして、(これは杞憂であってほしいが、)私のその態度は他の女もそうであると思い違いをさせはしまいか。女であるから、ではない。だからしない。特段、大切に思う相手とはしたくない。

 

私は自身の身体の権利を確かな認められる形で持っていたい。自身の身体の反応から自身の意思を守る手立てを持っていたい。意思が危殆に瀕するのは、その脆弱さゆえではないのだから。

4/10

出校を待つ以外に仕事がなかったので、半休を取ったけれど諸事情あり疲れてしまった。なんだか、自分の好かない物事に加担してしまった気分。自分の属する(属した)一組織に対する礼賛を複数人で、閉じた空間ですることをあたしはどうしても是と言えないのです。

大学に用事があっていったのだけれど、メインイベントと思っていた新しい図書館は、まだシステムが整っていないそうで卒業生の利用登録はおろか入館さえできないと言われてしまった。来週16日から登録できるそうです。

なんだか虚しく、むしゃくしゃして、同窓の仲のよいグループに「暇な人はいませんか」と声をかける。1人応じる人があって、五反田のサイゼリヤでご飯を食べる。取っ組み合って話して、気持ちよかった。彼に対して好いているところもそうでないところも当然在るのだけれど、あたしは彼と友達であれて嬉しいのです。

これは生物学的に男である人と(なおかつ、自認もそうである人。なお、自認を存じ上げぬ人もいる)話し、ひとり帰る時によく思ってしまうこと。あたしが先刻まで彼と話していたことを幻のように感じる。ひとりになった瞬間、我々(あたしと彼)が語っていた世界の主体からあたしはいなくなってしまう。あたしはそこから隔絶され、女となる。そう感じる瞬間が、そう感じてしまうあたしが恨めしい。それは、引き継ぐべきものではない。引き継がれることをあたしは望まない。でも、あたしがそう思い、こう書き記すことは遺すことに違いない。

語られたすべてのことを愛す

あたしはそう思う。だから、あたしが遺ることを望まないものも、語られる限りは愛すべき、あるべきことなのだ。ゆるし難いのに。どうしてもゆるせないのに。積み重ねられた客体が、語った主体が。でも、それでも、あたしは愛している。

ノムラララさんのポストを引用ポスト(あたしはこれを実現するかもしれないし、そういう作品を世に出したい。 他者との長く続き、そばにあり続けようとする愛情や思慕のはじまりは恋愛だけではないの。)して、友達からD Mがくる。言葉面はとても簡単な、きっと思ったままの、ただただそれだけなのだが、本当に泣いてしまう。これをあなたに直接のこる形で伝えようとは思わない。ラインもDMもしない。その質量の耐え難さをあたしは感じるから。だからここに書く。いつかあなたが隣にいるときに言うかもしれない。あたしは確かに、親愛なるあなたにいま、掬いあげられた。いま、この瞬間、ここにあっていいと、ゆるされた。エポックだよ。社会にあること、仕事をすること、毎日がそうだとも言えるけれど、鮮烈な、明(さや)なコンマだよ。

4/9

昨日、突発的に実家に帰ったので実家から出勤する。雨は大したことなかったけれど、風が強く、家から駅までの5分少しの道のりで安いビニ傘は逝ってしまった。

そう、昨日は妹からアマムダコタンでパンを買ったとLINEがあった。ずるいと言ったら、来れば?と返ってきたのでした。家族の中では私、一番パンやら小麦粉の塊やらに目がないのです。

何も用事がなければ、急ぎの仕事もなかったので早めに帰れたんですが、『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』を仕事帰りに観ようとチケットを取っていたのでした。

上映1分前ギリギリでスクリーンに滑り込み、席につく。ギリギリになっても良いよう通路側の席にしておいて正解(ちょうど真ん中あたりだし。)。

予告のライナップ、アニメに偏りすぎでは?アニメと漫画原作がほとんどじゃないですか!売れるから予算かけているのでしょうけれど!「デデデデ」の上映スクリーンだからですか⁉️そんなことを思いつつも、私だって『オッペンハイマー』か「デデデデ」で迷って後者を選んだのですけれど。(『オッペンハイマー』は観るぞ!と心してかからねば眠ってしまいそうなんですもん。)

「デデデデ」面白かった。後編も楽しみ。

好きなシーンがちょっと削られていて残念でだったけれど(おんたんがカマハンすぎる自転車と逆カマハン(?)すぎる自転車を漕いでいるシーンがとっても好き!カマハンはしてた!)。ちょこちょこ構成などなど原作と変わっていたけれど、むしろ観やすいし入ってきやすかったかも。

唯一、唯一、うっと一瞬喉が詰まったのはおんたんのお兄ちゃん・ひろしでしょうか…。いえ、これは完全に私の問題なのですけれど。私にとって諏訪部順一の声帯はやっぱり神宮寺レンの声帯なんです……。食戟の葉山でも最初は難しかったんです……。今まですんなり、素敵!すき!が優ったのは銀英伝のオーベルシュタインの時だけなのです。

 

ああ、「おんたん」って「ノンタン」と同じ発音かと思ったら「ボンタンアメ」のボンタンの発音なんだね。

またロキソニンを買う。会社用にと思っていたけれど、忘れたので。今日は気圧のせいか頭痛がひどかった。二箱買ったが、複数購入意図については聞かれなかった。

今日出校するだろうと張っていたものが出てこず、20時を回ったあたりで明日でいいやと諦める。電車は時間の割に空いていて、立っていたのは一駅だけだった。日曜に図書館で借りた『メアリ・ヴェントゥーラと第九王国』を読む。

 



 女性は笑顔を返したが、その声は穏やかで切なげだった。「ええ、たいていは全然抵抗 しないわよね。時が来たら、ただ受け容れる」
「受け容れるって何を?」メアリは好奇心をかき立てられ、目を見開いて二人を見た。唇 が血の赤い色に濡れた女の、伝えた顔を思い出していた。
[中略]
「受け容れるって、何を?」メアリはなおも訊いた。突然冷たいすきま風が入ってきたみたいに、思わずぶるっと身震いした。
「あなた、寒いの?」
「いいえ。受け容れるって、何を?」
「目的地をよ」女性は答えて、膝から編み物を取り上げ、ふたたび黄緑色のウールを編み はじめた。大きくなっていく編み地に器用な手付きで針を差し、糸の輪を作り、針でする っと引き抜く。手際のいい、てきぱき動くその両手にメアリは見入った。「乗客は切符を 買う」女性はさらに、針の編み目を黙って数えながら言った。「切符を買ったんだから、 降りるべき駅で降りる責任がある・・・・・・自分で列車と、路線を選んで、目的地まで行くのよ」
「わかってます。でも、あの人。すごく 怯えてるみたいでした」
「ええ、時おりそうなる人がいるのよ。最後の最後で怖気づくのよね。そうなったときは もう手遅れで、切符を買ったことを後悔するのよ。でも後悔したってなんにもならない。あらかじめこの汽車に乗るのがどういうことか、考えるべきだったのよ」
「でも、気が変わって降りるのをやめたっていいじゃありませんか。新しく降りた先で割増し分を払えば」

「この路線では鉄道会社はそれを認めないの」女性は言った。「混乱を招くから」 メアリはため息をついて、「ま、ほかのお客さんはそれで不満もないみたいですね」と言った。
「ええ、そうでしょう。そこが忌まわしいところなのよ」
「忌まわしい?」メアリの声が大きくなった。「どういうことです、忌まわしいって?どうしてそんな謎めいた言い方するんですか」
「実はごく単純な話なのよ。乗客たちはみんなとことんすり切れてしまって、無関心にな っていて、自分がどこへ行こうとどうでもいいのよ。どうでもいいのよ、時が来て、第九王国に着くまでは」

 

シルヴィア・プラス/柴田元幸「訳」『メアリ・ヴェントゥーラと第9王国』「メアリ・ヴェントゥーラと第9王国」(集英社 2022.5)

 

乗り物に身を委ねることはとても気持ちのいい行為だ。確かに何処かへ向かっている、意思に見紛う意識を、そこにただ身を置くだけで持っていられるから。例えば友人と同じ切符を持っていること、例えば買い与えられた切符を持っていること、その列車に乗ること、その安心感たるや。いつからでしょうか、その安心感を疑ったのは、そこに戦慄をみるようになったのは。しかし、どんなにか恐ろしくとも私はそんないくつかの切符を手放さずにはいられません。手放してしまえば、もうそこに私の席は無くなってしまうのだもの。私はその切符を失くしてもなお、私が在ることに耐えられるのかわかりません。

 

4/6

友達と花見に行くのでお弁当を作る。いつもはあまり気にしない彩りを考えてみたものの、妹には「茶色い」と言われた。

お弁当の中身・キャロットラペ・キャベツとえのきを中華風ピリ辛に味付けたの・豆苗ときくらげのツナ炒め・鶏むねのピカタ・マカロニサラダ・卵焼き(甘いの)・トマトと鶏皮の和物・きゅうりとハムのサンドイッチ・たまごサンド・水切りヨーグルトとビスケットでティラミスぽくしたの

近所の公園はほどほどに賑わっていた。子連れが多い。土日では今が桜のピークだが、地元の人間しかいないよう。

落ち合って早々、「(「みいつけた!」の)スイちゃんがかわいい」と話される。彼女はスイちゃんに夢中らしい。写真を見せてくれたけれど、特段かわいいともかわいくないとも思わない。子どもは動いていてこそかわいいと感じる。写真を見てかわいいと思うのはその子が動いている記憶の呼び水となるからだと思う。その辺で裸足のままレジャーシートの外に飛び出す幼子こそかわいらしい。

彼女との付き合いは高校の時からで、もう9年目になる。ついこの前知り合った様な気さえするのに。そりゃあ干支も2周するし、高校生の頃に生まれた従兄弟は小学校に入学するし、会社勤めも2年目になる。

病院を予約しなきゃいけないのに電話が嫌だし、そもそも電話するのを忘れるとか、ラジオ体操や準備体操はまともに運動だと気づいただとか、互いの弟妹の話や、高校の話をした。

花見をしながら、時折他所の子どもたちが遊ぶ様を愛で、他愛もない話をする。こういう素朴な時間は一人で過ごしているとなかなかない。花見にかこつけて、弁当を一緒に食べようと誘ったのは、本当に欲していたことだったからだろう。

 

シャボン玉を噴出するおもちゃを持っていったのだが、電池が必要で使えなかった。ので、スーパーで電池を買う。家から一番近い公園で使ってみると想像よりずっと細かなシャボン玉が大量に噴き出して、2人で驚く。ベンチに座った中一くらいの女の子2人の方向にその大量のシャボン玉が飛んでいくものだから、友達が焦って「ごめんなさい!」と言う。私も釣られて申し訳ない気持ちになりかけるが、女の子たちは少なくとも嫌がってはいなそうで、むしろシャボン玉を追いかけたり写真を撮ったりと降って湧いたイベントにテンションが上がっているように見えた。私だって同じ立場なら喜ぶに決まっている。これを嫌がるのは大概大人だろう。小さな男の子もシャボン玉の群れに三輪車で突っ込んでくる。男の子の母親が「こういうほうがいいかもなあ」と言う。

付属の液を半分ほど使って満足する。「全部使い切らないでここで満足しちゃうあたりが私たちの歳だよね」と顔を見合わせる。

とりあえず、ベランダでやらなくてよかった。これが近隣住民の洗濯物につきでもしたら大変な迷惑だ。

友達を駅まで見送り、薬局でロキソニンを二箱買う。複数購入の理由を聞かれ「会社用と自宅用で」と答える。オーバードーズの社会問題化の余波だろうが、いつから聞く様になったのだろう。1月あたりに会社の近くの系列薬局で買った時には聞かれなかった。

そのまま図書館に向かう。越して2ヶ月半、ようやく利用登録を済ませる。読みたかった本を1冊とその書架で見つけて気になった本を1冊借りる。

シルヴィア・プラスの詩集を久々に読みたかったのだけれど、所蔵がなかった。区内の他の図書館にはあるようだったので予約を入れておく。中学生の頃偶然彼女の存在を知り、最初はその苛烈さから興味を持った。近所の図書館にはやっぱり所蔵がなくて同じように他館から取り寄せて読んだ。彼女の詩は私の内側をひんやりと涼しくしたけれど、奥に熱くまたたく暗いものを残していった。本当にそう感じた。大学生の頃、図書館をふらふらしていたらその懐かしい詩集を見つけ、もう一度読んだ。その時も彼女の詩は私に新しく残していく。それは中学生の時よりも鮮明で、生々しい質感だった。最後にシルヴィア・プラスの詩を見たのは、詩集ではなく二階堂奥歯『八本脚の蝶』の中でのこと。どの詩を引用していたかは覚えていないが、私は初めてそこで自分以外の読みを知った。その後、詩の授業でもシルヴィア・プラスは紹介されたけれど、先生が名前を口頭で出すに留まった。

私の秘密を知っている本」は何冊か思い当たる。シルヴィア・プラスの詩集もその類だ。数年に一度行き当たる秘密の部屋。私は彼女の詩を一編も覚えていないし書き留めてもいない。単語のいくつかをまばらに覚えているだけだ。数年に一度その部屋に足を踏み入れ、普段思い出さない、呼び出さないようにしている秘密と対峙する。常に晒されてしまったなら、と思うとぞっとする。本当はもっと足繁く通いたい気もする。通うべきな気もする。でも、たまにでいいのだ、たまにで。(そう言い聞かせる。)

早く来ないかな。

3/30

一日中家にいる。

休日にしては珍しく、9時ごろに起きる。明かりとコンタクトがついたままだった。昨日ベッドで本を読んでそのまま寝たらしい。カーテンを開け、冷めたお茶を飲みながらそのまま続きを読む。きりの悪いところで宅配が来る。越してしばらく経つけれどカメラ付きのインターホンを使いこなせていない。ので、直接「今出ます」と言う。パーカーを羽織って荷物を受け取る。面倒ですぐに開ける気にはならない。鍋からトマト煮をよそい、そのまま三口ほど。食べかけをテーブルに置いて、ベッドに戻る。いまだにクリアしていないゼルダ(ティアキン)を進める。炎の神殿の攻略を済ませて、またベッドから出る。トマト煮を何口か食べる。ベッドから落ちた毛布をクッションがわりに、絨毯に寝転んで本の続きを読む。一つの章立てを残して、お茶を淹れる。妹がオーストラリア土産に買ってきたT2のティーバッグ。Canberra Breakfastというブラックティーベースのお茶らしい。真っ青なカンカンがかわいい。缶の下半分にはカンガルーやら何かの鳥やら花やらのイラストが印刷されている。そう癖のある味ではないだろうと踏んでいたのだけれど、ビニールを開けた瞬間ココナッツやバニラの甘い匂い。しかし香りは強いけれど、味は意外と甘すぎなくてよかった。お茶を飲みながら最後まで読む。読み始めてからひと月ほど放置してしまっていたのですけれど、とてもよかったです。高原英理『祝福』。水曜日に、実物を前にして我慢できずに買った『エイリア綺譚集』も楽しみ。よそってあったトマト煮を食べ切る。インスタを開くと昨日コメントしたストーリーに返信があった。ハートだけつける。洗濯物をいい加減畳むか、と三日くらい前から干しっぱなしの洗濯物を外し、それを干すときに外した洗濯物の山に放る。畳んでいる間に『BLACK  LAGOON』を観ようとプロジェクターをつける。宅配便がまた来る。今度は定期便のコンタクトだ。これも開けずに放っておく。ひと月ほど前、友達が持ってきたサラミを開けてつまむ。(半日弱点ちまちまつまんでいたら半分食べてしまった。明後日辺り肌荒れしそう。)読み終わってそのままにしていた『祝福』を本棚に挿す。ついでに他の出しっぱなしにしている本も片付ける。通勤鞄の中からスピンの最新号を開く。この前昼に買って、最果タヒの連載詩(「キャラクターの血の湖に、ぼくの瞳が映っている」特定のキャラクターについて書かれた詩の連載。7号は『彼氏彼女の事情』のキャラクターたちについて。)を席で読んでいたら、知らぬ会社から営業電話に横槍を入れられてむしゃくしゃした気持ちになったのでそのまま仕事に戻ったのだった。だから、まず詩を読む。雪野ではじまり、一馬、真秀、そして有馬。何度か読み返し、連載詩のあとに続く蓑田沙希のエッセイを読む。古本屋の店主だそう。飼い猫を亡くした話だった。そこまで読んで、他の本たちを戻し始める。その間に、大白小蟹『うみべのストーブ』と荒川弘『黄泉のツガイ』⑥、『アステリズムに花束を』の伴名練「彼岸花」の続きも読む。そこまでしてコーヒーが飲みたくなり、お湯を沸かす。なぜだかキッチンの前で座り込んでみたくなってお湯が沸くまでの間ぼーっと換気扇を眺める。そろそろシート(あのシートの名前は何?換気扇の汚れ防止シート?)を変えた方が良いかもしれない。ドリッパーからコーヒーが落ちるのを待つ間、洗い物をしてしまうか、とキッチンに立つ、と、部屋から水の落ちる音がする。戻るとマグカップからコーヒーが溢れ出し、テーブルを伝って絨毯に落ちている。慌ててドリッパーをマグカップから外し、急ぎコーヒーの染み抜きについて調べる。幸いそこまで目立つシミは残らなかった。ベッドで携帯をいじる。昨日発熱したらしい妹に電話をかけてみるが出ない。本当に元気がないのかもしれない。漫画アプリを巡回し、目的もなくYouTubeを開いたところで妹から電話が来る。熱も下がったようで、いつも通りの悪態。2、30分話して切る。『BLACK  LAGOON』を再生。洗濯物を畳む。一つ二つ畳んだところで、もしかするともうニットの出番は来ないのではと思いつき、2週間天気を確認する。クローゼットの秋冬物で十分と判断し、簡単に済む分の衣替えをしつつ洗濯物をしまう。コーヒーを飲み、ベッドに戻ってゼルダの作業をしつつ『BLACK LAGOON』を観る。食器を片付ける。お腹が少し空いた。何を食べるかと棚の前を彷徨いたあと、冷蔵庫からめかぶひとパックと酢蓮を少し取り分けて食べる。iPadでクリスタを開いて手すさびに絵を描く。お風呂の追い焚きスイッチをいれる。お風呂が沸くまでの時間、これを書いている。無印の入浴剤を使うつもり。

 

2/20

昼休み、さっさかお弁当を平らげて東京堂へ。行くと散財(無駄ではないから散財ではないか)してしまうから、月に2、3度ね、となんとなく自分の中で約束事。

目当てのユリイカは品切れだったけれど、永野護特集のものがあった。この前『ゴティックメード』を見に行ったからついつい気になって手に取る。(そして、そのうち読みたいと思っていたhyperpop特集も。)ゴティックメードの余波もあり、S Fが欲しかったので文庫を一冊。名作を買ってみるかと迷ったけれど(最後のユニコーンの新装版とか平積みされていて気になった。最後のユニコーンはハヤカワから出ているから同じ書棚にあっただけでSFではない。)読みやすそうな短編集を選ぶ。名作は図書館で借りて、気に入ったら買う方がいい。『アステリズムに花束を』。世界初の百合S Fアンソロジーですって。コミックコーナーで一目惚れして、『守娘』もカゴへ。上下巻同時発売とあったけれど、上巻しかなかったのでとりあえず上巻だけ。

「アロマンティックって恋愛感情がないってことですかね?」

人にもよりますが、私に関してはそのようなものと思ってもらって構いません

サイコパスとかではないですよね」

ちがいますよ

「感情はあるんですね」

 

馬鹿にすんな。なんの悪気もないのでしょうけれど。

でも、それでも、これは欠落なのだろうかと思わないわけではない。ずっと、そう。

2/16

「さようなら」が挨拶の中でいちばん好きです。

響きもさることながら、その潔い感じが好き。名残を不用意に見せないような、ひとり同士になる合言葉のような。語源とされる「左様なら」のさっぱりした感じを受け継いでいるのかしら。「そういうことなら、では」と。

しかし、「さようなら」を滅多に言わない生活。

職場を後にするとき、見送るときは「お先に失礼します」「お疲れ様です」のどちらか。

知人と別れるときは、わたしは「じゃあね」と言うことが多い。これを「さようなら」に置き換えてみようか。

とそこまで考えて、「さようなら」と別れた後に、心配するLINEをよこした友人のことを思い出す。彼女が今どこで何をしているのかは知らない。