2021/11/18

年に数度、献血に行こう!とおもいつくタイミングがあって駅前の献血ルームに行く。

大学の最寄駅前に行くこともあるし、通学に使っている駅前に行くこともある。大学1年生の時から年に数度、つまり今日で6回目くらい。だけれど、あたしは一度も献血をできたためしがない。

初めて行ったときはたまたま大きな傷のあったときで、献血ルームのお医者さんに「これはダメですね」と言われた。

次に行ったときはピアスを開けて三月(みつき)たった頃。受付ですみません、と断られた。

その次に行ったときは歯医者さんで親知らずを抜いて少しの頃。受付でそれを思い出して、すみませんと謝った。

さらにその次はワクチンを受けた帰り。お医者さんの部屋に案内されると、献血できない理由を丁寧に説明してくれた。

この前は性的接触の項目に引っかかった。これもお医者さんから説明を受けた。とてもいたたまれない気持ちになった。

そして今日はお医者さんの判断。

「顔色が悪いね」

40手前くらいの女の人だった。蔓の繊細な眼鏡をかけていて、それに似つかわしい神経質そうな輪郭をしていた。あたしはこのせんせいが好きだなあと思った。

「そうですか。いつもこんな感じなのですけど」

「今日は元気?」

「元気だと思います」

そもそも元気じゃなければここにこないよ。せんせい。普段あたしはここの道を素通りしているんだよ。でも、今日は元気だからきたの。知らないだれかのためになることをしたいとおもいついたの。

「お顔、触ってもいい?」

ええ。あたしは頷く。せんせいの骨っぽい指が近づいてくる。その爪先を見て目を閉じそうになるのを、くっと堪えて、あたしは借りられた猫よりも大人しくしていた。焦点はせんせいの前髪のさきにある。前髪のさきは蛍光灯のぼんやりした明るさにとけて、世界との境目がおぼろげになっている。下瞼がきゅうと引っぱられて、瞼の裏側を観察される。

「うん、白い。貧血の疑いがあります」

せんせいの指が離れて、下瞼がもとの位置に戻る。はあ。あたしに当事者意識はみじんもない。貧血って血が足りてないってことでしたっけ。

献血、できないわけじゃないけど私はすすめないかな。生理とかつらいんじゃない?」

「……まあ、わりと」

なんでこんな身体のつくりなんだと毎月呪っています。でも、血がだぱぁと出てくると、安心感もあって。赤黒い、あたしから離れたあたしの一部が愛おしくもあって。嫌いにはなれないんです。不思議ですよね。

「個人的には、一度病院にかかるのをすすめます。あなた、まだ若いし。あと30年くらいは付き合っていくことなので」

せんせいの神経質そうな輪郭がすぅとほどける。この人はあたしより長い時間、身体を持っている人なんだ。あなたはあなたの身体と数十年を生きているのか。途方もない……せんせいはあと10年とか、そのくらいですか……?30年後、あたしは生きているかしら?なにをしているかしら?

「はい……!考えてみます」

優等生の女の子みたいに答える。せんせいは前髪をわずかに整え、パソコンに向き直って何かを入力した。あたしの6度目の失敗を入力したのだとおもう。

「じゃあ、今日は献血はなしでいいですね。以上になります」

礼儀正しくお礼をいって、診察室を出た。受付の人にもそうした。受付のお兄さんが、またきてくださいね、といってくれた。さわやかな人だった。献血にふさわしい、健康でサラサラとしたかんじの人。笑った顔が田中圭に似ていた。

エレベーターに乗る。献血帰りのおじさんと乗り合わせた。おじさんは眠たそうにしている。血が足りないと眠たいのはよくわかる。あたしとおんなじ理由でおじさんが眠たいのなら、すこし嬉しいかもしれない。

 

血をのこしてはいけない。

血を分け与えてはいけない。

あたしの血はあたしの身体をたもつのに尽くしている。

あたしが引き受けるべきもの。あたしを引き受けるしかないもの。

あたしがゆるし、あたしをゆるすもの。

 

昨年、骨髄移植をした親族を思い出す。

背中をさする。下腹に手をおく。

〈手かざしを受ければ健康になれる〉という宗教を思い出す。

手をかざしてもあたしは健康になれない。手をかざしても、血は増えない。