ぼくはある人に飼われている。
彼女はぼくらの種族でいう結婚適齢期にふくまれ、ひとり(とぼく)で暮らしている。
外で働いてきて、帰ってくると食事とお風呂をすませて眠る。お酒をのむときもある。あまり高そうでないワインを飲んでいる。
彼女が出かけているあいだ、ぼくはDVDで映画をみたり、部屋にある本を読んだりしている。
映画の内容はよくわからないものが多い。大学生のころ好きだったといつかいっていた。洋画しかなくて、ぼくは俳優の名前も監督の名前もひとつだって覚えられない。
本は古びたものが多い。子どものころに集めたのだといつかいっていた。はんぶんはジドウブンガクで、はんぶんはチョサクケン切れの作家。そしてうすい文庫のギキョクとメイゲンシュウが数冊ずつ。
ある日、昼間に読んだギキョクの一節をそらんじてみせたら、彼女はおおきな瞳から涙をこぼした。宝石を砕いたようだった。
そうだね そう……だから、あなたを
そういって、ぼくを抱きしめようと手をさしだした。ぼくは抱きしめられるつもりで待っていたけれど、彼女の腕はくたりと力をうしなった。そこがあるべき場所とでもいうように、しばらく動かなくなった。部屋にはソファも椅子も絨毯もあるのに、なにもないフローリングの上にへたりこんでいた。ぼくはただ隣にいた。ここがあるべき場所、とめいっぱい主張するように、いた。ふたりで朝日をみた。民家やビルの頭をけずるひかりに目を細め、たがいの体温のあることをかんじていた。
きんようびでよかった
というので、
ぼくはあなたがいないと死んでしまうよ
といってあげた。若く健康で毛なみのうつくしいぼくは、彼女がいなくても死んだりしないけれど、そういってあげた。
ありがとう ごはんに、しましょう
ふたりで食卓を囲む。キャラメル色のテーブルに向かいあって座る。
ぼくの前にあるのはプレート。〈トースト(はちみつがかかっている)・プチトマト3つ・レタス2枚・ミネストローネ(きのうの残り)・目玉焼き〉
彼女の前にあるのは小鍋とお椀。〈韓国の袋麺(溶き卵を入れてある とても辛いらしい)〉
ぼくと彼女は別々のものを食べる。だから別々のからだになる。ぜんぜんちがうかたちになる。食べるスピードもちがう。彼女は食べるのがとてもおそい。それはそうだ。辛いものが苦手なくせに辛いものを食べているのだし。週のはんぶんは辛いものを食べているのに、いつまでたってもはやくならない。はあ、はあと息を荒くして、ときには涙と鼻水で顔をよごして、頭を垂れながら。額には汗がにじみ、突き出された舌のさきから細い唾液が滴れる。必死に熱を、腹の奥の濁りを吐き出そうとするようにのみこむ。ときおり、ぼくを眼差す。まっかなスープを啜り、ほてるからだをなぐさめる。そんなことをするくらいなら、ぼくをどうしてくれたってかまわないのに。
ねえ、どうして 苦手なものを食べるの?
うちにのこっているから
ぼくがそれを食べたってかまわないんだよ?
これは わたしにひつようなの わたしにひつような、ぼうりょくなの
それは あの人をおもっているから?
いいえ わたしがたえられなかったから そのしょくざいかもしれない
彼女は微笑んでいった。
あなたは耐えていると思うよ。だって、ぼくに指一本だって触れないだろう。その眼をぼくに向けることを躊躇っているだろう。ぼくに別のものを食べさせるでしょう。
あなたが部屋にいない間に、遺されたもの全てを食べてしまおうか。
あなたは脆くないといってあげるから。
あなたは脆いかもしれないといってあげるから、
あなたが脆くともぼくは決して責めないのだから。
彼が母を責めたようには愛さないから。