4/10

出校を待つ以外に仕事がなかったので、半休を取ったけれど諸事情あり疲れてしまった。なんだか、自分の好かない物事に加担してしまった気分。自分の属する(属した)一組織に対する礼賛を複数人で、閉じた空間ですることをあたしはどうしても是と言えないのです。

大学に用事があっていったのだけれど、メインイベントと思っていた新しい図書館は、まだシステムが整っていないそうで卒業生の利用登録はおろか入館さえできないと言われてしまった。来週16日から登録できるそうです。

なんだか虚しく、むしゃくしゃして、同窓の仲のよいグループに「暇な人はいませんか」と声をかける。1人応じる人があって、五反田のサイゼリヤでご飯を食べる。取っ組み合って話して、気持ちよかった。彼に対して好いているところもそうでないところも当然在るのだけれど、あたしは彼と友達であれて嬉しいのです。

これは生物学的に男である人と(なおかつ、自認もそうである人。なお、自認を存じ上げぬ人もいる)話し、ひとり帰る時によく思ってしまうこと。あたしが先刻まで彼と話していたことを幻のように感じる。ひとりになった瞬間、我々(あたしと彼)が語っていた世界の主体からあたしはいなくなってしまう。あたしはそこから隔絶され、女となる。そう感じる瞬間が、そう感じてしまうあたしが恨めしい。それは、引き継ぐべきものではない。引き継がれることをあたしは望まない。でも、あたしがそう思い、こう書き記すことは遺すことに違いない。

語られたすべてのことを愛す

あたしはそう思う。だから、あたしが遺ることを望まないものも、語られる限りは愛すべき、あるべきことなのだ。ゆるし難いのに。どうしてもゆるせないのに。積み重ねられた客体が、語った主体が。でも、それでも、あたしは愛している。

ノムラララさんのポストを引用ポスト(あたしはこれを実現するかもしれないし、そういう作品を世に出したい。 他者との長く続き、そばにあり続けようとする愛情や思慕のはじまりは恋愛だけではないの。)して、友達からD Mがくる。言葉面はとても簡単な、きっと思ったままの、ただただそれだけなのだが、本当に泣いてしまう。これをあなたに直接のこる形で伝えようとは思わない。ラインもDMもしない。その質量の耐え難さをあたしは感じるから。だからここに書く。いつかあなたが隣にいるときに言うかもしれない。あたしは確かに、親愛なるあなたにいま、掬いあげられた。いま、この瞬間、ここにあっていいと、ゆるされた。エポックだよ。社会にあること、仕事をすること、毎日がそうだとも言えるけれど、鮮烈な、明(さや)なコンマだよ。