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昼(16:30頃)

大学生にまぎれながらふらふら歩く。

何を食べるか決めてから出なかったとき、食べるのが遅い私はどんどん選択肢が減っていく。ので、サブウェイ、ドトール、丸亀、サイゼにちょこちょこ行く。

水道橋の駅が見えたあたりで引き返し、何度か通りすがったラーメン屋に入る。どの時間でもお客さんが入っていたのでおいしいだろうと見込んで。

煮干し系のお店でおいしいし好みだったけれど、ラーメンに1000円ってなんだかなあと思ってしまう。ラーメンフリークには怒られそうですが。一人の食事にあまり関心のない人間とラーメン屋は相性が良いとは言い難いのかもしれません。

でもやっぱりおいしかったです!麺がしゃきしゃきで好きでした!

飲む。

私は、引っ越そうとしていることだとか、原田左之助をいかにして好きになりどこに惚れ込んだのかを話したりする。

楽しいしうれしい。

私は

私がゆるされないもの

と思っている。それは私にとっていつからか当然のことで、よいことでも悪いことでもない。誰が私をそうしたでもなく、ただそうなった。

だから(というだけではないが)私は人を煩わせてはならなず、自分を人に慮られる価値があるようには思わない。

 

しかし、案外人というのは、特に私の出会う人々は、

私について過度に煩わしく思うこともなく、慮ることを当然としたりあるいは立場(ロール?)の働きもあってか、私の想像より大きな苦としないことが多い。

もしかすると大抵の人間というのはそういうものなのかもしれない(と思うこともある)。

それが善意なのかはわからない。(善性とはいえるかもしれない。)善意であるならば、他者のそれにすがっていいものかと思う。私はすがることをゆるされるいきものでないから。だからお金を払って、ケアや改善を示してくれるところに行ったほうがいいのかもしれないとも思う。(しかしそれはおそれや経済的な理由からままならない。)

卑屈な態度だとは思う。