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昨日、突発的に実家に帰ったので実家から出勤する。雨は大したことなかったけれど、風が強く、家から駅までの5分少しの道のりで安いビニ傘は逝ってしまった。

そう、昨日は妹からアマムダコタンでパンを買ったとLINEがあった。ずるいと言ったら、来れば?と返ってきたのでした。家族の中では私、一番パンやら小麦粉の塊やらに目がないのです。

何も用事がなければ、急ぎの仕事もなかったので早めに帰れたんですが、『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』を仕事帰りに観ようとチケットを取っていたのでした。

上映1分前ギリギリでスクリーンに滑り込み、席につく。ギリギリになっても良いよう通路側の席にしておいて正解(ちょうど真ん中あたりだし。)。

予告のライナップ、アニメに偏りすぎでは?アニメと漫画原作がほとんどじゃないですか!売れるから予算かけているのでしょうけれど!「デデデデ」の上映スクリーンだからですか⁉️そんなことを思いつつも、私だって『オッペンハイマー』か「デデデデ」で迷って後者を選んだのですけれど。(『オッペンハイマー』は観るぞ!と心してかからねば眠ってしまいそうなんですもん。)

「デデデデ」面白かった。後編も楽しみ。

好きなシーンがちょっと削られていて残念でだったけれど(おんたんがカマハンすぎる自転車と逆カマハン(?)すぎる自転車を漕いでいるシーンがとっても好き!カマハンはしてた!)。ちょこちょこ構成などなど原作と変わっていたけれど、むしろ観やすいし入ってきやすかったかも。

唯一、唯一、うっと一瞬喉が詰まったのはおんたんのお兄ちゃん・ひろしでしょうか…。いえ、これは完全に私の問題なのですけれど。私にとって諏訪部順一の声帯はやっぱり神宮寺レンの声帯なんです……。食戟の葉山でも最初は難しかったんです……。今まですんなり、素敵!すき!が優ったのは銀英伝のオーベルシュタインの時だけなのです。

 

ああ、「おんたん」って「ノンタン」と同じ発音かと思ったら「ボンタンアメ」のボンタンの発音なんだね。

またロキソニンを買う。会社用にと思っていたけれど、忘れたので。今日は気圧のせいか頭痛がひどかった。二箱買ったが、複数購入意図については聞かれなかった。

今日出校するだろうと張っていたものが出てこず、20時を回ったあたりで明日でいいやと諦める。電車は時間の割に空いていて、立っていたのは一駅だけだった。日曜に図書館で借りた『メアリ・ヴェントゥーラと第九王国』を読む。

 



 女性は笑顔を返したが、その声は穏やかで切なげだった。「ええ、たいていは全然抵抗 しないわよね。時が来たら、ただ受け容れる」
「受け容れるって何を?」メアリは好奇心をかき立てられ、目を見開いて二人を見た。唇 が血の赤い色に濡れた女の、伝えた顔を思い出していた。
[中略]
「受け容れるって、何を?」メアリはなおも訊いた。突然冷たいすきま風が入ってきたみたいに、思わずぶるっと身震いした。
「あなた、寒いの?」
「いいえ。受け容れるって、何を?」
「目的地をよ」女性は答えて、膝から編み物を取り上げ、ふたたび黄緑色のウールを編み はじめた。大きくなっていく編み地に器用な手付きで針を差し、糸の輪を作り、針でする っと引き抜く。手際のいい、てきぱき動くその両手にメアリは見入った。「乗客は切符を 買う」女性はさらに、針の編み目を黙って数えながら言った。「切符を買ったんだから、 降りるべき駅で降りる責任がある・・・・・・自分で列車と、路線を選んで、目的地まで行くのよ」
「わかってます。でも、あの人。すごく 怯えてるみたいでした」
「ええ、時おりそうなる人がいるのよ。最後の最後で怖気づくのよね。そうなったときは もう手遅れで、切符を買ったことを後悔するのよ。でも後悔したってなんにもならない。あらかじめこの汽車に乗るのがどういうことか、考えるべきだったのよ」
「でも、気が変わって降りるのをやめたっていいじゃありませんか。新しく降りた先で割増し分を払えば」

「この路線では鉄道会社はそれを認めないの」女性は言った。「混乱を招くから」 メアリはため息をついて、「ま、ほかのお客さんはそれで不満もないみたいですね」と言った。
「ええ、そうでしょう。そこが忌まわしいところなのよ」
「忌まわしい?」メアリの声が大きくなった。「どういうことです、忌まわしいって?どうしてそんな謎めいた言い方するんですか」
「実はごく単純な話なのよ。乗客たちはみんなとことんすり切れてしまって、無関心にな っていて、自分がどこへ行こうとどうでもいいのよ。どうでもいいのよ、時が来て、第九王国に着くまでは」

 

シルヴィア・プラス/柴田元幸「訳」『メアリ・ヴェントゥーラと第9王国』「メアリ・ヴェントゥーラと第9王国」(集英社 2022.5)

 

乗り物に身を委ねることはとても気持ちのいい行為だ。確かに何処かへ向かっている、意思に見紛う意識を、そこにただ身を置くだけで持っていられるから。例えば友人と同じ切符を持っていること、例えば買い与えられた切符を持っていること、その列車に乗ること、その安心感たるや。いつからでしょうか、その安心感を疑ったのは、そこに戦慄をみるようになったのは。しかし、どんなにか恐ろしくとも私はそんないくつかの切符を手放さずにはいられません。手放してしまえば、もうそこに私の席は無くなってしまうのだもの。私はその切符を失くしてもなお、私が在ることに耐えられるのかわかりません。