2022/8/4-8/18 弘前・仙台・会津

0804

昨日の社員さんから4人のグループLINE(彼、他の社員さん、バイトの先輩、私)に改めて「ご報告」がくる。飲みに行こうという話になる。この4人の飲み会は3回取り付けられて一度も実現していない。

久々の空港。

空港内の中華料理屋で晩ごはんを食べる。義叔父とはじめて会ったのがこの店らしいけど、私は覚えていない。

叔母の元恋人のことの方がたくさん覚えている。最近になってやっと、義叔父の記憶が彼の記憶と同じくらいの量になってきた。

何年ぶりかもはやわからない青森空港。ずいぶんきれいになっていて、新しい建物の匂いさえするような気がした。

荷物が流れてくるのを待っていると、母が泣いた。幼稚園生くらいの男の子が騒いでいるのと、お揃いのワンピースを着た小学校低学年と幼稚園生くらいの姉妹をみて、私や妹の小さかった頃を思い出したらしい。母は涙もろい。

 

外に出ると、空気が涼やか。「ああ、帰ってきた」と思う。東京育ちのくせして、青森(というか弘前)に愛着がある。地元は東京だけれど、「故郷」は青森、と感じる。人にいうときは、「生まれ」とか「生まれ故郷」という。

小学2年生の従妹は車の中で寝てしまった。私の膝の上にいる。子どもの体温。あつく、じわり、と湿っている。こわい。こわがる自分が、かなしい。

今回は私の一家とこの従妹の5人で帰省している。

亡くなった祖父と私のうつった写真を従妹が見て、「ずるい」と言う。この子には祖父との記憶がないのか。なんと返してよいかわからなくて、膝の上に抱く。

 

 

 

0805

東向きに大きな窓のある部屋で、妹と従妹よっちゃんと寝ていた。遮光カーテンがいつの間にかなくなっていて、何度も目が覚める。結局8時頃には起きた。普段の私からはとても信じられない。

だいぶものが減った。前来たときも多分こうだったけど。

おじいちゃんが死んでから、義叔母がだいぶ整理したみたい。いろいろと思い出のあったものもなくなっていてさみしくなる。10日ほどこちらにいる予定だけれど、なくなったものに気づくたび、同じような感傷にひたるのでしょう。

よっちゃんは叔母の友達一家と一緒にプールへ。私と妹はおばあちゃんのソフトバレー会へ。

みなさま60歳以上だのに、私よりお上手。お元気で声も大きくて。とても楽しかった。

終わって体育館を出ると、待っていたとばかりに風が吹き込んでくる。ぶわっ、と心地よさが駆け上がって、「走りたい!走って帰ろうかな!」と妹に言うと、「子どもじゃないんだから」と諭される。彼女の方が真っ当なのでしょうけれど、私はこういう衝動をけっこう好んでいるのです。

しかし、妹の追撃は嫌なので、広場の入り口までで我慢。

私の希望で銀水食堂へ。ずっと値段のかわらない店。ここではワンタンメンと決めている。

母「頼、銀水好きだったの?知らなかった」

頼「好きだよ」

母「なんで?そんなきたことあったっけ」

頼(微笑む)

注文した料理がくる。

妹とよっちゃんは浴衣を着るみたい。妹は通販で買って、昨日届いていたよう。

せっかくだから着なさい、とお母さんとおばあちゃんにすすめられて私も浴衣を着ることになった。腰と肩が張った体型で和服は似合わないから気は進みません。ただ、二人に逆らうほうが大変。義叔母その2がこっちで買って置いていったものを着せてもらう。柄は白地に紫や青紫の鬼灯。着てみたらそうひどいものではなかった。二人が似合う似合う、すてきすてきと連呼するものだから恥ずかしい。ありがとう、とだけ言っておく。

近所の寿司屋で晩ごはん。

ここの太巻きはとてつもなく美味しいから楽しみにしていた。

妹は夢の一本喰い……は断念して(なぜならそれ以外に握りも食べるから)一本の半分を丸ごと恵方巻きのようにして食べた。それでも十分大きい。食べている動画を親族LINEに送ったら、奈良漬に話題をさらわれた。

妹「なんで!奈良漬に負けた!」

私も奈良漬に負けたのは不服。

何年振りかわからないねぷた

屋台は出ていない。

何度か、私も引いた。

 

お祭りが好きとか工作とか好きとかそういうところはおじいちゃんと似てるね。

 

そう言われたことを思い出す。。

書いていて、酒の好みまで一緒か、と気づく。おじいちゃんの常飲はハイボールだった。もう、7年も経つ。

人が集まって、なにかつくって、まつって。そういういとなみを愛しています。

 

 

 

0806

推しの誕生日です。

ソシャゲのガチャを回して、しっかりURをゲット。最近離れがちだけれど、スチルをみてにやけるほどではあります。

甲子園開幕。

一生懸命見ている、と見えたようで、おばあちゃんに「頼ちゃん、野球好きなんて意外」と言われたので、「私がみるのは甲子園だけだよ」という。

*f

岩木神社へ。けっこう混んでいた。

懐かしい、以外にはあまり何も思わなかった。

 

チリンチリンアイスのカートが出ていたから食べたけれど、弘前公園前にいつも出ていた味と違う。おばあちゃんによると、有名な製造元が2社あるそう。

ひいおばあちゃんの家へ。そもそも十分長生きだけれど、弱った。歩行器を手放せなくなっていた。そんなこととうに理解していたものの、もう軽トラ運転したりはできないな、と小さなショック。

叔母(よっちゃんの母)と間違えられる。私が老けて見えるのか、叔母が彼女の目では昔のままなのか。後者かな、とおもう。体型の変わった母に「昔とすこしも変わんない」と言っていたもの。

 

ママ(とみんなが呼ぶ親戚)「働きはじめたらすぅぐ嫁さ、行ってしまいそうね」

母「しばらくその予定なさそだけどね」

頼「仕事がんばりたいんだ」

嫁に行く気はあまりない。たいていの親戚は、「行く」と思っている。そういう年齢になってしまった。

大鰐の温泉。

サウナに入ると、珍しいもの見るような目で、一瞬見られた。サウナ内はおばあちゃんと同じ年代の人ばかり、しかも顔見知りのよう。気にせず入る。みなさまも、気にせずおしゃべりを始めてくれてほっとする。

市内よりも訛りがきつくて、半分もしゃべっていることがわからない。久々の感覚。遠くにこられたようでうれしくなる。

 

 

 

0807

ねぷた最終日。

昼運行をみて、一旦家に戻る。妹が「なんで起こしてくれなかったの!」と言って起きてくる。妹の準備を待ってブルーエイトへ。行きがけに「ここの紀伊國屋なくなったんだよな」とおもう。前来たときも同じことをおもった。

 

その後、弘前れんが倉庫美術館へ。池田亮司の展示をみる。

大量のデータ(といっては単純すぎ?)が投影されていた。

 

この中で息をして、走ってゆくにはどうしたらいいんだろう。気づかずにいればいいんだろうか。

 

0808

免許を取ってから初めての運転。取ったのは去年の8月末、教習所を卒業したのは6月。最後の運転からは丸1年以上。車も道具なのだから使いよう…とはいえ、大きな力を持つ鉄の塊ですから怖いものです。

 

お父さんとギャラリー森山へ。車で10分弱。途中に母の母校があった。家から近くて羨ましい。

木とお香の匂いがするギャラリー。

「渡邊金三郎断酒図」の前に焼香台があった。この画はテレビの生放送での紹介時に、閉じているはずの右目が開いたらしいです。

 

なにを遺して死んだの?なぜ、あなたはまだここに。

それを知ることが誰にも叶わないから、幽霊画は見たくなるのだと思います。

 

 

 

 

0809

カレーハウス芳柳に行く。

バスで行くことを勧められたけど、案外歩けたし、そこまで遠くもなかった。

壁も天井もヤニで黄土色。煙草の匂いが染み付いている。一人できてよかった。

先客は一人。さして年の変わらなそうな男の子。つなぎを着ているから、昼休みなのでしょう。

店主が奥から現れる。私をみて、訝しげな顔をする。

ポークカレーを注文。一緒に手相をみてもらえるようお願いする。そう、ここはカレーを食べると手相を見てもらえる(お願いすれば)カレー屋さんなのです。

カレーも黄土色っぽい。牛乳が入っていそうな色味。ご飯がハート型にかたどられていてかわいらしい。半分食べすすめて、辛味を控えてもらえばよかったと後悔。なんとか完食する。

支払いを済ませると、そのままカウンターに座るよう促される。

 

両手を出して。何か聞きたいことはある?

来年から働くので仕事のことを

……――……

他には?

……これから、私は誰かと生きるのでしょうか

占いじゃないから、未来のことをこうでしょうとかは言えませんよ。でも、そうした方が長生きはするでしょうね……

 

私は、なにを選ぶのだろう。ねえ、なにを選ぶ?

ヒロロを散歩する。

こぎん刺しの名詞入れを買う。紫の糸だったので。

 

小学生やら幼稚園生やらの工作が飾られている。金魚ねぷたのモチーフ。地域特有のモチーフ(モチーフと言って正しい?)は東京では見ない。東京のつまらないところ。

赤くない金魚だらけ。物心ついたころには、ある程度それらしい色で塗っていた記憶がある。めちゃくちゃな色で工作をしていたころ、私は何をみていたんだっけ。

 

 

0810

お昼は焼肉を食べに行った。

その後買い物。

駄菓子屋でよっちゃんにお菓子を買ってあげる。私も叔父とかにそうしてもらったから、そうしてあげたいと思った。駄菓子、高くなっている……。

アウトレットで妹と服をみる。久々にこんなに服を買ったし、試着もしたし。少しつかれたけど、お気に入りが増えたので満足度は高い。

Theoryの赤いトップスとBeautiful Peopleのワンピースが特に良いです。

トップス:赤。それも真っ赤!かなり好きな色味。メッシュトップス、似合う気がしなかったけれど着てみるものですね。色落ちが心配。

ワンピース:くすんだオレンジのペイズリー柄。丈はマキシ。薄く柔らかい生地(透け感なし)で着心地◎母にはカーテンと言われる。

 

 

0811

田んぼアートを見に行く。今年はモナリザと湖畔でした。すごーい、とはなるけど、これをみるためだけに数百円払うのはちょっと惜しいな、と思う。払うのはおばあちゃんですが。

よっちゃんとスライムをつくる。何年ぶりかは到底わからない……

夢中で1時間以上遊んだ。次は粘土とか触りたい。紙粘土、買おう。

 

 

 

0812

夕方の飛行機で妹とよっちゃんが帰るので、午後は久々のひとり時間。

シルクのカーペットに寝転んでぼーっとする。本でも読むか、と開いたものの、いつの間にやら眠っていた。

起きると3時半。コーヒーを飲みに行こうと思いたつ。本と財布だけ持って家を出る。

斜向かいのカフェに入る。客は私ひとり。店員さんも何やら作業をしていて、入ってきた私に気づくのが遅れた。

30分ほど静かに本を読んでいたけれど、ひとりで読みたくなって本を閉じた。その後、店員さんと30分ほど当たり障りのないおしゃべり。聞けば同じ学年の学生さん。訛りがないなと思ったら、地元の子ではなかった。

領収書をわざわざ出してくれた。字があまりきれいでなくて(私の言えたことではない)、かわいらしい。

函館行きは断念。

 

電車が復旧しませんでした。

連日、鯵ヶ沢や河沿いのりんご畑がテレビで放送されている。ほどほどに近いはず。それでも現実に思えない。

泥だらけになった家財。地面に転がった若いりんご。倒れた木々。悲痛な顔をする人は映りません。

夜、おばあちゃんも寝たころ、本の続きを読む。

木地雅映子『氷の海のガレオン』

先日おむかえした、二階堂奥歯『八本脚の蝶』で知り、読むことにした。

 

泣いて泣いて、屋根に出て、深呼吸をして思い出す。

ああ、そう。あなたたち、みんな私より年の幼いんだった。

 

私が、大学生になるまで、それも半ばになるまで、自分の中の違和感に(もしくは呼び声に)顔を背けながら、いたことを思い出す。それは、私の捨てられない、大切な、大切なものであるのに。

愚かしい私は、それを自覚した今でさえ、きっとこれからも、ときおりそれを蔑ろにするんです。素知らぬふりで。

 

 

 

0813

朝起きると、おばあちゃんがせかせかと墓参りの準備をしていた。お弁当パックにはいつも通りのラインナップ。お赤飯と煮物ととうもろこし、果物。鏡天はまだ入っていない。小さい頃、鏡天が甘いものだと思っていた、と言って笑われる。(お墓参りから帰ったあと、おやつに食べた。意外と美味しかった。)

私も適当に支度を済ませて、盆灯籠を組み立てたり、精霊馬をつくったりする。

 

お墓参りに行くと、他の親戚と居合わせる。大義叔母といとこ違い(というんだったかしら)の一家。年下のはとこたちは大きくなっていて、一瞬誰だかわからなかった。私も日本人女性としては背のある方だけれど、二人とも私より背が高い。もう高校生と中学生だものね。多分、二人は私が誰だかわかっていない。

大義叔母にママに言われたのと同じようなことを言われる。

晩御飯に近所のラーメンを食べに行く。父と母がおいしいと言っていたお店。

おばあちゃんはラーメン屋に一人で入るのが恥ずかしくていったことがなかったそう。私も大学生になって初めて一人でラーメン屋に入った時、妙に緊張した。

女将さんがにこやかにむかえてくれて安心。ラーメンと、持ち帰りで豚足を頼む。豚足は冷凍してあるのでいい?と聞かれたので、大丈夫ですよ、と答える。食べ終わると、豚足を女将さんが出して、解凍の仕方と一緒に入っているスープの使い方を教えてくれた。おばあちゃんが、帰ったら解凍してビールにしようか、という。それなら、と女将さんが冷凍でないものを出してくれた。

ビールと言いながら、もらいもののいいワインがあったのでワインを飲む。結局ビールも飲みたくてビールも飲む。

庭で迎え火を焚く。

これから、私はあと何度、迎え火を焚くのだろう。

火が熱いこと、木が燃えること。

私は忘れがちだと気づく。

いない人のことも同じよう。

眼前にしなければ忘れてしまうことはあまりにも多く、罪悪感のようなものを感じる。自己防衛の部分があったとて。

来年、社会に出て、お盆がただの休暇になってしまったら、いやかもしれない。そもそも休めるのかも知りませんが。

 

 

 

0814

再びひいおばあちゃんの家へ。

車を置き、挨拶だけして、お墓に向かう。途中にある大伯父の家にも顔を出す。庭先ではとこたちが野良猫と見つめあっていた。おばあちゃんがおしゃべりしている間、私も少しだけ混ざる。この家に慣れている猫だけれど、野良だから触らない。

 

墓の前で藁を燃やす。祖父方は木を焚きますが、祖母方は藁。

お墓からひいおばあちゃんの家に戻るまでの道。おばあちゃんが右手にある家を指差す。

「ここのお家の人が家の世話してくれてたの」

「お手伝いさん?」

「子守りとか。息子さんまだ住んでるのかしらね」

庭の手入れはされておらず荒れ放題、家もだいぶガタがきていそうで、どうだろうか、と思う。隣家との間にある軽トラックはまだ使われていそう。どちらのものかはわからない。

 

私の幼いころより、祖父の生前より、祖母自身の話を聞いている気がする。私に、話すようになった、が正確?おばあちゃんじゃない祖母が私の前に、顔を出すようになった。

 

母親の母親でない顔(姿)をみるのが嫌だか、ゾッとするだか、言っていたのは誰だったか。(誰、というか何度もそういう内容は見ている気がする)

そういうふうには感じないけれど、そこはかとない座りのわるさ。孫でない、私、は彼女とどう話せばいいのか、まだよくわかっていない。

 

 

 

0815

朝早く、家を出て新青森行きの臨時バスに乗る。

バス停に向かう途中、おばあちゃんがいつになくしんみりした面持ちで、就職してもきっとこちらへくるよう、友達も連れてきたらいい、と言った。私はもう、子ども、でないのです。

私はこの土地に、地元よりも愛着がある。東京なんかよりずっと、ここがなくなってしまったらどうしよう、と思うの。でも、それは「おわり」みたいな、そういう匂いがもうするからなのかもしれない。シャッター街があるように、大好きだった中華が閉業したように、死んだおじいちゃんの病院を今は他に貸しているように、ひいおばあちゃんが軽トラを運転できなくなったように、コンビニが何件も増えたように。

仙台で降りて、叔父と合流する。

義叔母のご両親のお墓参りをして、定義山へ。

油揚げがおいしいらしい。おいしいけれど、この山道を登って食べにくるほどだろうか、と思ってしまう。

仙台城瑞鳳殿と、定番所をまわる。こんな言い方してはあれですが、仙台のメインスポットはそんなに刺さらないのでした……。特に瑞鳳殿は、ぴかぴかに修復されていて、藩祖伊達政宗の御霊屋、と聞くと疑問符が浮かぶ。言葉を選ばないなら、ちょっとちゃっちい。金閣とかも近くで見たらこんなふうに思うのかも。

牛タンを食べに行く。(閣 という店)

1時間弱並んだ。その価値あり。

義叔母に「頼ちゃんがそんなに美味しそうに食べるのなかなかないから連れてきてよかった」と言われる。恥ずかしい。たしかに、あまり表情豊かなほうでも、大げさに振る舞うタイプでもないけど……。

1人では並んで何か食べようとか、食べたい、とか思わないから、誰かの食べたいものがあって連れ出してもらったとき、感動することはままある。

 

 

0816

県立美術館へ。

公園を抜けて歩いていった。繁華街からすぐのところだったものだから、御苑みたい。隣を流れる川のザーザー鳴る音と公園の敷地を挟んだ大通りの音がそぐわない。このちぐはぐさはやっぱり御苑と似ているんだけど、こちらは車がもっとびゅんびゅん走っていて、その上見えるのはビルでなく眼下に広がる民家。ここは地方都市なんだなあと思う。

 

なんの列かと思ったら例の、ポンペイ展でした。ポンペイ展には用がないのに、同じ列でチケットを買わねばならず、展示室に入ってもいないのに疲労感。来るまでに40分もふらふらお散歩しているのも原因です。

コレクション展はゆっくりみられる程度の入で、撮影可のものが大半。ポスター、絵画、彫像、絵本原画……と展示品の幅が広くてびっくりした。

 

うずら(鳥) 鳥海青児

「買えなければ盗んでも自分のものにしたくなるような絵」(洲之内徹)とはよく言ったもの。じいとみて、触りたくなってしまう。その腹の羽毛に指先を沈めて、体温のないことを感ぜられたら、どんなにすてきなことか。丁寧に横たえられた姿は生物の種を問わず魅力的です。

 

佐藤忠良記念館、スルーされがちなのかぽつぽつとしか人がいない。ブロンズ像をこんな近さで、何体も、同じ作家のもので、みたのは初めてです。ブロンズ像に関心を持ったことはないのですけど、これは楽しいかも。健康的で綺麗な脚がたくさんで見惚れる。お腹も空いていたからさっと見て行くくらいのつもりだったのだけど。

展示室を出て、人気のない裏側のホールでぼーっとする。大理石らしいベンチが冷たくて気持ちいい。このまま私も大理石の像になったら、などと妄想してみる。そのつもりになってみる。人のあまり訪れないここ。ベージュの混ざるオフホワイトの、薄明るいホール。ほぼ全面に貼られたガラスは細い中庭に面しているせいかわずかな陽しか入ってこない。息を潜めて、さっきみたブロンズの女たちを手本に視線を定める。

後ろの階段から足音。小さな男の子の声。彼の母親らしき「待ちなさい」という声。男の子が先に降りてくる。一瞬、怯えたように私をみる。彼の呼吸がほんのわずか止まったのが私にもわかった。私は本物の像じゃないから、彼は隣に座ってこない。人間だと気づかれてしまう。両親らしき男女が降りてくる。私は何事もなかったかのように動き出し、普通の人間のふりをして中庭に出る。小さな彼はまだ私をみている。背を向けていてもわかる。中庭側からガラス越しに振り返ると、彼はきゃっきゃと飛び跳ねていた。ベンチには彼の両親が座っている。

私のいたところと同じじゃないみたい。

牛タン定食を食べる。

カメイ美術館へ。

また歩く。仙台中心部の位置関係がなんとなくわかってきた。

 

蝶々の標本目当てできたのだけど、特別展(「東郷青児と二科ゆかりの作家展」)に想定外の時間のくわれかたをする。

今日は想定外だらけだ。(そもそも1人で旅行するのに計画なんかないから想定も想定外もないんだった。)

お客さんは他にいませんでした。ですから、「この美しい人たちを私が独り占めしている!」

と興奮気味に、何度もぐるぐる、展示室を歩き、立ち止まってを繰り返してしまうのでした。

 

蝶々の標本というのに特に興味はなくて、珍しいものみたさに訪れましたが、こんなにもいいものとは。ずらりと部屋中に並んだケース。窓もなく、さっきの展示室とは違う静けさ。(こう言ってしまっては身も蓋もないけれど、)ここは死体の並ぶ部屋であることとワンダーランドのワクワク感が両立しているのです。翅の美しいのと胴体の虫らしい気持ち悪さとずっと眺めていられる。自分の手元に欲しいかと言われるとそうでもない。飾って、そのまま忘れてしまう。ちっとも大事にできない。それは手元に置きたいものでないということだ。

住めば都というものの、仙台は自分に合わない気がしてならない。旅行者だから、というだけでは片付かない居心地の悪さがある。

日本酒バーで軽く食事。新政の異端教祖株式会社を飲んだ。ワインみたいでおいしい。

 

 

 

0817

バスで会津へ。

駅前に白虎隊の像が!やっと、会津にきたのね、私……。と惚ける。

 

駅前の広告で、新選組展をやっていると知り、県立博物館へ行くことを決める。タクシーで10分少し。平日昼間でもほどほどに並んでいた。

近藤勇の書簡が好き。京都での生活を細かに書き綴っているさまは、ちょっと偉そうで、でも憎めない。100数十年前、彼がたしかに京都に生きていたのだ、と思える中身。好みではないが、字も上手。

 

常設展はさすが会津様のお膝元でした。

幕末の動乱期から明治までの会津藩や旧幕府方についての内容が濃い。地方の博物館って、しっかりその土地のものが見られるのですね。やや擁護的に思えるところもあったけれど、私も会津びいきですからよいです。よいです。

鶴ヶ城に駆け込む。

かつて憧れた人たちの中には、ここで戦い、死んでいった人もいるのです。

 

八重の桜のお衣装を見つける。この布に、西島秀俊が触れていた…!と気持ち悪い盛り上がりかたをする。

歩いてホテルへ帰る。とても疲れた。意地を張らず、バスかタクシーに乗ればよかったと後悔。

バス無しのお部屋とのことで近くのスーパー銭湯の入浴券付きだった。(結局部屋風呂もあったのだけど)

お風呂の種類も充実。休憩スペースあり。外気浴もできる。そして、普通に入っても安い。近所にあったら通いたくなるところでした。

 

 

 

0818

朝から飯盛山へ。

9時に到着して登る。噂どおりの有料エスカレーターがあった。

どんなに辛くても自分の足で登りたい、と思っていたけれど、辛いと思うほどの高さも傾斜もなかった。

整備がよくされているのは山頂の墓や碑のあるところまでで、そこからいわゆる自刃の地への道は歩きやすいとは言い難い。案内板も錆びて倒れてしまっていたり。自刃の地まで見に行く人は意外と少ないのかしら。後ろにいた数組も一向にくる様子がない。

小学生の頃から、訪れたかった場所。そこは墓地の中にあった。私以外には誰もいない。遠くに城が見える。今、あなたたちと同じ方向を私は見ている。

 

あなたたちがそうあったから、生き延びた瞬間がたしかに私にはあったの。飲み込めたものがあったの。息をしていることがあったの。

あなたたちの生を、私は尊びます。

○白虎隊記念館、史学館、さざえ堂をまわる。飯盛山周辺にまとまっていて助かる。

記念館は期待通りの内容、史学館はイメージとは違ったけれど面白かった。

史学館はかなり雑多な印象。集めてきたものをとにかく並べてあるような。小学生の見学お礼の手紙を見ている時間が長かった。小さな子の書く文章、ならびに書き文字はなぜこうも愛おしくなるのか。そのくらいの年の頃、私だってこういうお礼のお手紙を書いたけれど、とうに忖度は覚えていたのに。二十歳も過ぎたから?特に子どもが好きとかはないのですけれども。書くことへの労力の差でしょうか。もしくは、手で書くことを労力と感じる度合いの差でしょうか。

 

○さざえ堂(正式には円通三匝堂 えんつうさんそうどう)

二重螺旋構造の御堂で、中を一周すると三十三観音参りができる。200年以上前の建物だから、外から見ると入っている間に崩れないものか不安になる様相。そう高さがあるわけでないから死にはしないでしょうが。内部は明治に大修繕されているそうです。急というほどではない傾斜を2周少し登ると降りになる。最上階(?)だから何かがあるというわけでもない。一定の間隔で観音像が安置されている。歩を速めようとも緩めようともならないことに感動する。

 

さざえ堂の横にある社(神社ではないからちがうか)には白虎隊十九士が祀られている。彼らを模した人形がほの暗い中に並んでいる。誰が誰かはわからない。しかし、伊達政宗像よりずっとよいです。もっと近くで見られたらよかったのに。ああ、でもこの距離で見上げるからよいのかもしれないし。白虎隊は私の中のだいぶきれいな記憶ですからそのほうがよいでしょう、ということにします。

バス周遊券と一緒に買った入館切符に従って観光地をまわる。

会津武家屋敷

復元なのできれい。しかしテーマパークというには弱いような。

野口英世の諸々をさらっとみて福西本店へ。見学の前に遅いお昼ごはん。塩を保管する蔵を改装したお店。椅子とテーブルがアンティーク調のセットでかわいい。ご夫婦とアルバイトの男の子が1人。男の子は多分、私より年若い。(年若い、と使うには私の年齢はまだ足らないかも。書いてみて違和感。)主菜と副菜数種にお味噌汁とご飯。健康的な食事!健康的な食事、それだけでいいことをしたような?社会への義務を果たせたような?気持ちになる。すこしだけ。すこしだけ。

○福西本店

大きな商家。隠し部屋もあるよう。わくわくする。案内の方々がみなさんとても親切。いろいろと丁寧に説明してくださった。明治の偉人の書やら、天皇家ゆかりの家具やら、文化財の飾り棚やら、高名な作者の掛け軸やらぽんぽん置いてある。違棚の木材だけで一億(現在の評価額かはわからない)とかするらしい。お金持ちですね。

2階で寄せ木細工の飾り棚はにうっとりしていると、後ろから若い女の子3人が登ってきて思わず逃げた。彼女たちは一階で三八歩兵銃を持った写真を案内のお兄さんに撮ってもらったのかしら。断ったのでちょっと申し訳ない。自分ひとりの写真を撮られるのは苦手だ。

三八歩兵銃は陸軍で使われていた小銃です。長い間製造されていたはず。4キロほどの重さ。これを持って、他の荷物も担いで走り回っていた……。戦地にあったなら、私にもできるのだろうか。

ふらふらと歩いて移動する。近代建築の面影を持っている建物がけっこう多い。

無人の古本屋(こころ堂)を見つけて、背表紙を見て2冊だけ買う。

灰谷健次郎『少女の器』角川文庫(1999.3)

ラ・フォンテーヌ『愛の神(キューピッド)のいたずら ラ・フォンテーヌの小話(コント)2』三野博司・木谷吉克共訳、教養文庫(1991.3) (タイトル括弧内はルビ)

会津新選組記念館

白虎隊史学館と似た印象。眉唾では…?と疑ってしまうものが少なくない…。新選組ビジネスですね。いただけない。

 

阿弥陀寺

戊辰戦争戦死者の埋葬地。藤田五郎斎藤一)の墓、そして鶴ヶ城の小天守がある。藤田五郎の墓が晩年を過ごした東京ではなくここにあるのは、会津への恩義、思い入れが強かったという説が有名ですが、妻・時尾をおもってという説が好きです。私には到底手に入らない気持ちなので。ロマンチック。時尾は会津藩士の娘で松平容保の姉・照姫の祐筆をつとめた、いいとこの娘でもあるわけですが肝の座ったひとだったそう。腐敗した死体を率先して埋葬したとか。こういう美しさに小学生の頃は憧れたものですが、今となっては手に入らん、と諦めのほうが強いのでした。

会津から郡山へ向かう電車には、私と同様に旅行者らしい人も少なくない。なぜか1人の人ばかり。車内は空いていて、私は進行方向に背を向け、ボックス席に座る。向かいの窓側に座った男の人はキャップを目隠しにして眠っている。ぼぉーっと、車窓に目をやる。山並みが燃える、と最初に言い出したのは誰だろう。一番に思い浮かぶのは「旅立ちの日に」ですけれど。あの歌詞のように「白い光の中」ではない。こがねと碧玉。琥珀の中をゆっくりと通る光線。

山と山の間、神さまの気配を感じる。みつける。

私は神さまをみたことがある。忘れもしない、小学校4年生の秋、冬になる前。読書週間のはじまったころ。近くの公園からの帰り道。友達と喋りながら自転車を漕いでいたとき。あのころ、その道の両脇は畑だった。正面の駐車場の先にある、住宅地の向こうに神さまはあった。私は声をなくして、すべての音が、風が、友達の声が、何もかも遠くにあることをかろうじて耳が拾っていた。私が神さまをみていられるのは、その道にいる間だけ、となぜかわかっていたから、自分の体の動いていることが恨めしかった。勝手に自転車を漕いでしまう自分の体がもどかしかった。その道、わずか数十メートルを進む間に得た感受。神さまのあること。

電車は無慈悲に神さまと私の物理的距離を広げていく。山の陰へと隠れていく。叫んでしまいたくなる衝動を、やっぱり私の体は抑制する。涙が力の抜けた手の甲にある。それを見て現実に引き戻される。

さっきの駅で乗ってきたらしい女子高生たちは各々のスマホをみて、時折ひとりの画面に集まる。彼女たちにとってはみるまでもない車窓。

生きている間、あと何度、あのうつくしい、とどかぬところを、

感じ得るすべて

知り得るすべて

そうできないすべて

その境目すらなくした

楽園と見紛うものを目にできるのか。

○新幹線

東京までは案外すぐ。けれども時間がある、ので日記をつける。