30代とかになったら、もすこしましになるかな、とか思ったりする。その、関わり方みたいなものとか。
苦手なことが多い、が、その大概ができないわけでない上、ことによっては水準以上にできてしまう。しかし、苦手なことをどうにかしているツケは払わねばならず、その時がきて人に負を抱かせることをずっと恐怖している。
認識の齟齬はどこにでも発生して然るべきであるから、できるだけ正直に、早いうちに「苦手で」と白状するのだけれど、8割方謙遜として捉えられてしまう。
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自分の主体を脇に置いておかないと読めないものもある。というようなことをいつだか書いた。「脇に置く」以外に「透明度を高める」というやり方も私はしている、と気づいた。透明にしているだけだから、ざりざりと鉄やすりで削られて、不可視の内臓に澱が溜まっていくようである。泣いたりだとか眠ったりだとか、なにもしないだとかでやり過ごしてきたが、最近の眩暈と無気力には辟易している。
小説は読める状態なのが救いだ。
(・小説:◎平常通り・エッセイ:○ものによって△だがそれはいつでも・漫画:△よりの○目が滑る・映画:△集中し難い・動画:×何を見たいかわからなくなる・記事:△選べない・音楽:×よりの△うるさい・出かける:×日曜からの旅行が不安・料理:△今家に妹がいるのでかろうじて)
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この前の土曜、ハーブの苗が届いたので植えた。同梱されていた説明書きに「毎日観察するとよいでしょう」とあったからでもないが、朝晩眺めている。いや、「見てしまう」という言い様の方が行動と差がない。ミントなんかは確実に伸びている気がする。
母に見せたら「丁寧な暮らしってやつだね」と言われたけれど、そういうもんでもないだろうと思う。香草が好き、単にやりたい、と前向きな前提もあるが、必要に迫られてやっている心持ちなので。そうゆとりのある意識ではない。