8/13~8/15

8/13

連休中石和温泉にある友達みたいな先輩みたいな(先輩ではある)人の一族の別宅にお邪魔していた。

 

石和温泉からの帰り。特急電車内。

眠たい。

帰りの特急の席はバラバラ。女性の隣席の方が良いだろうと、同行者に促される。私が女性であるための配慮にいくらか驚く。なんだかこういう配慮にはいつまで経っても慣れない。そして、今まで嫌な思いなど十分にしているのに、危機感の薄さは依然としている。窓際の女性は八王子で降りていった。八王子までの間、隣に乗り合わせていると起こるやり取りが数度あった。彼女にとっても、同性である私が隣であることはベターだったのかもしれない。彼女も私と同じように危機感や警戒心の薄いタイプである可能性はあるけれど。

今回一緒に石和に行ったのは7人。内2人が同い年。それ以外は一つか二つ上。あと一緒に行けなかったけど、もう1人年上。私はこの人たちに甘えすぎな気がする。誰に対しても話さないでいるつもりだったことを零した(これは1人に対して)し、「欲しい」と言ったし、彼らに褒められるととってもうれしい。

特に年上の人々に対しては仲が良いというより、懐いていると言う方がしっくりくる(同い年の内の1人も同意していたから集団内の認識としてもまあまあ的を得ているのでしょう。あ、でも、この同い年、私よりずっと大人びている…!と今回思い知った。脱線。)のだけど、行き過ぎないように恐る恐るしているところが未だにある。最近、ちょくちょく会っていたので「恐る恐る」がちょっと減りすぎだと思う。これは関係性を続けるために必要な、小さな前向きな努力です。(同い年に対してこの努力がないわけではないけれど、ちょっと少なくてもよいでしょうとしています。ごめんね。許せ)

フラットに・公正に・対等に(どれも最適でない気はする)、ひとりの個として彼らは接し、それでも先輩後輩ではあって、

私の強さも弱さも空っぽも彼らはなんとなく知っていて、それを変容させたりはせず、ほどほどに(?)覗きあって、

という貴重な人々なのです。私にとって。

関係を続ける努力、を後天的に意識的に手に入れたのだからちゃんと使おうと思います。

 

(この日記、読んでいる人がいるらしいので、こういうの書くのずるいし恥ずかしいし嫌なんだけれど、忖度していると書けないことが増え続けるので知らないふりをします。読んでいいけど「読んだよ」とか言わないでね。)

 

 

8/14

昼ごはんよりおやつが似合う16時、アルカサールで昨日までを惜しむみたいにごはんを食べる。節制せねば〜と思っていたけれど、今日はおいしい好きなものを食べないと気が抜けてしまうよ。

大学生のとき長く付き合っていた人と“付き合い続けた積極的な理由”を考えていた。

いくつか辿り着き、なんなら私が爆発させてしまった自分の爆弾の材料を新たに発見してしまった。嘘だろーーと地下鉄で唸りそうになる。

 

8/15

異様に眠い。気圧め。

ひとりで地下鉄への階段を駆け下りられてうれしい。

デモ行進が行われている。叫び、怒鳴り、拡声器の音は割れて、何を言っているかはさっぱりわからない。大通りからそれて、裏道に走っていった男女を警察が追っかけていく。過ぎ去ると祭りが終わったあとのよう。来年はどんなだろうか、こんなだろうな。と、来年を想像できた私に虚をつかれる。来年の8/15、デモ隊を眺めています。

電車が普段より空いている。お盆万歳。人、少ないけどこれでも多いよお。

先日、ライブやフェスの話を聞いていて、行きたいなーと思う。思ったものの、適性がないのだった。ライブやフェスって高度なコミュニケーションの場ではないでしょうか。案外、不文律や求められる知識が多く、それを用いたコミュニケーションが飛び交う空間だもの。ライブの一体感、なんてコミュニケーションの結晶でしょう。楽しみ方は各々でもちろん良いのですけれど、あの一体感の心地よさをいまいち掴めないタチの私は、コンサートとか落語とか演劇の鑑賞のほうが合っているのでした。

大音量がだめなので、ライブ行くと次の日がしんどいし。これがなければもう少し頑張れるんだけどなあ…。

 

(Q.前もこんなこと考えなかったっけ? ——A.考えていました。大学2年生のときのエッセイ課題で書いてましたよ。)